2010年10月07日

カズの生い立ちpart3

1990年7月、カズは帰国し「読売サッカークラブ」と契約する。ブラジルでの最後の2年間は、
カズは評価も高く人気選手であり、名門「サントスFC」とも契約し、まだこれからという時での
帰国であった。ブラジルでの成功を捨ててなぜ日本に帰ってきたのか、残念がるファンも多かった。当時日本のサッカー界には、プロリーグの構想が持ち上がっており、カズは、その構想に引かれ日本に帰ることを決意したのだ。カズは、ブラジルで人気選手としてサッカーを続けることより、日本のサッカーのレベルを上げ、日本代表チームの一員としてワールドカップ出場を目指すことを 選択したのだ。

1993年にはプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕し、また日本代表チームは、ワールドカップ・
アメリカ大会出場まであと一歩というところまで迫る。日本のサッカーは、人気実力ともに上昇していった。これらの功績はカズなしではとても成し遂げられるものではなかった。日本のサッカーが軌道に乗ると、再び自らのもう一つの夢を追いかける。そしてまた、通用しないという声の中、セリエAでのプレーを実現する。

日本は1998年フランスワールドカップに出場を決めるも、カズはそのメンバーから外されることになる。 日本代表のユニフォームを来て、ワールドカップの舞台に立つことを一番強く願っていたのがカズであっ たと思う。日本を世界のレベルに引き上げたのが、カズであることは皆が知っていることであり、本人もそう思っていただろう。それだけに悔しかったことだろう。

しかし、これまでのカズはブラジルに渡る時、ブラジルから帰る時、イタリアでプレーする時、常に回りに反対される中、自分を信じて成功をしてきた。逆境をバネにして、やってきた男である。今回は代表から外れたが、まだまだこれで終るような男ではない。

カズの帰国会見。「メンバーから外れたことは、絶対に納得してはいけない。」

いい顔をしていた。カズは、死んではいない。夢を追い続けるカズのサッカー人生は、まだまだ終らない。

投稿者:FC-Cyberstationat 09:47| ジロー日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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