2010年09月23日

カズの生い立ちpart2

そして1年後、サントスFCの外人枠から外れ、弱小チームに貸し出されることになる。そこでの生活は悲惨なものであった。「まるでドサ回りみたいなものですよ。バスで延々23時間かけて地方に遠征し、試合をして、終わったらまた23時間かけて帰る。夜はバスの通路にクッションを敷いて寝る。食事は高速道路のインターで同じような肉料理を1日3、4回。それに、ブラジルは広い国だから、暑かったり 寒かったり、1日で気温が10度以上も違うんですからね。」「でも、ここで負けたら永遠にオレはダメ になると、いつも心のなかでは思っていたんだ。」(カズ)

そののち、「CRB」という田舎チームを経て、1988年サンパウロ州の1部リーグチームではあるが、ローカルチームの「キンゼ・デ・ジャウー」にスカウトされる。このスカウトが歴史的なゴールへとつながることになる…。

カズはこの試合で、鉄壁の守備を誇る元ブラジル代表のエジソンのマークを外し、ヘディングでゴールを決め、1-0で勝利した。点を取ったのはヘディングだったが、得意のドリブルで何度もコリンチャンスのディフェンダー陣を混乱させた。カズのフェイントはブラジルの超一流チーム相手に十分通用するようになっていたのだ。ゲームが終わった後のジャウーの町は1週間以上も、お祭騒ぎがつづいた。地元ではカズを「神」として崇めた。

その後、パルメイラスの助っ人メンバーとしてキリンカップに出場したり、コリチーパを パラナ州のチャンピオンにさせたりし、カズは実力をフルに発揮しはじめ、90年に再び サントスFCと正式契約した。

カズ、このとき22歳。今度は超一流の折り紙をつけられ、堂々と胸を張っての契約だった。

投稿者:FC-Cyberstationat 10:57| ジロー日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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