2010年09月16日

カズの生い立ちpart1

1967年、静岡県静岡市に生まれる。1973年、静岡市立城内小学校に入学。城内FCで
本格的にサッカーを始める。さらに静岡市立城内中学校に入学。この頃から横浜銀蝿の
もの真似をするなど目立ちたがり屋であった。

1982年、静岡学園高等学校に入学するも、8ヶ月で中退。15歳で単身ブラジルのプロチーム
「ジュベントス」に留学。当時のカズは県内でもほとんど評価されず、カズのスピードと
体力ではブラジルどころか県内でも通用しない、という批判の声がほとんどであった。
それでもカズは自分を信じブラジルへと発った。
カズは、他の選手のように一時留学の形でチームに預ってもらうという形をとらなかったため、
ブラジルで注目を集め、プロの仲間入りをするには、人並以上の練習で実力をつけ自力で門戸を
開けるしかなかった。カズは、ひなびたスタジアムで罵声を浴びる毎日を送りながら、
死に物狂いの練習を毎日続け、言葉の壁、習慣の違い、いじめや孤独と戦いながらプロを目指した。
食事やスパイク、ユニフォ−ムを盗られたりもした。下手なプレ−をすれば、日本人は使うな
という世間の攻撃も受けた。

1985年の夏、カズは厳しい日々に夢を捨て日本に帰ることを考えた。そして、日本行きの航空券を買い、
リオの公園に気晴らしに出た。そこでは、20人ほどの子供達が楽しそうにサッカーをやっていた。
その中には、片足で懸命に汚れたボールを追っている少年がいたのである。「片足の子だけじゃなく、
裸足の子もいました。じっと子供たちを見ているうちにボクは反省しましたよ。ボクには両足もあれば
スパイクも新しいボールもある。いったい、何をぜいたくなことをいってたんだろうと思いましたね。」(カズ)

飛行機の予約をキャンセルしたカズは、この時から帰国を口にしなくなった。翌1986年2月、18歳の
誕生日の2日前、カズは正式に名門サントスFCと契約した。
日本では華やかに報道され、現地ブラジルでも新聞にとり上げられ話題には事欠かなかったが、サントスFCでも
厳しい苦渋を味わった。ウイングのポジションには元代表の名選手がいて、そのシーズンは2試合しか出場できなかった。

投稿者:FC-Cyberstationat 07:40| ジロー日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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